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【新春座談】次世代へ、豊かな文化をイメージ

【新春座談】次世代へ、豊かな文化を

NEWS

 

〈新春座談〉

今年3月、いよいよ移転。

「文化首都」として京都が果たすべき役割は何か──。

次代を担う各界ホープの新春座談。

ともに、文化の明日について考えてみませんか。

 

左から 樂吉左衞門さん 澤田瞳子さん 金剛龍謹さん

 

◆次世代へ、豊かな文化を◆

 

京都とは、どんな土地か

 

 

澤田瞳子(以下、澤田)京都に長く暮らしていますと、およそ文化的なことに何でも手が届くありがたさがあります。東京で「〇〇寺展」などが開催されたりすると、非常に盛況で混雑するわけですが、京都だったらそもそもそのお寺にいつでも簡単に足が運べてしまう。お稽古事にしても、何かを始めたいと思ったら、知り合いの知り合いあたりをたどっていけばするすると紹介者が見つかり、それがお茶であれ、お花であれ、お能であれ、第一級のお稽古が習えてしまう。そういった文化との、たぶん他の地域にはない距離の近さが、京都暮らしの大きなメリットと思います。

 

金剛龍謹(以下、金剛)確かに私どもの業界で言うと、能楽師の数は人口の割に、ずいぶん多いですね。しかし、ちゃんと活動できている能役者がそれだけ大勢いるということは、地域に根付いているのであって、これは京都というところの文化的な深さなのかと思いますね。

 

樂吉左衞門(以下、樂)やっぱり京都は、歴史の厚みはもちろんのこと、それが今も息づいて、人々の暮らしの中で、文化が「生きている」っていうのが大きいことなのかな、と感じます。お能もそうでしょうし、茶道ももちろんそうで、三千家のお家元しかり、また僕自身もお茶碗を作るということで、長い歴史の中で生かされています。寺社、仏閣も単に遺産ではなく、あらゆることが、この町の「今」の中にあるというのが魅力の一つなのかな、と。

 

澤田 研究者の方が多いのも京都の特徴としてありますね。だから、どこに記事が載るより、私は京都新聞さんに掲載してもらうのが怖くって(笑)。うかつなことを言ったり、書いたりすると聞こえてくるわけですよ。「誰々先生が、あそこの記事、間違うてる、と言うてはったよ」と。よその地域だったら、たぶん聞こえてこない。でも京都だとみんな距離が近いから。

 

樂 そういうことありますね(笑)。

 

澤田 そういう近さが怖い一方で、やはりハッと気が引き締まりますし、超一流の先生方のご意見を間に一人くらい介しても、お聞きできるというのは、自分の学習の上では非常にありがたいです。

 

金剛 見所(けんしょ)(能楽堂の観客席)の特徴としては、能の公演というのは総じて、キチッと「鑑賞」しないといけない、といった感じでご覧になる傾向にありますが、京都はもう少し日常的なところがあるように思いますね。昔は桟敷の見所でお弁当食べながらね、ちょっとお酒飲んだりしてご覧になった時代があったという話も諸先輩から聞きますが、そんなふうに普段の楽しみ、娯楽の中に能があったんだな、と思い出させるような、おおらかな空気と言うのでしょうか。京都にはまだ、その名残りがあるように思います。

 

 

文化庁への期待、提言

 

樂 ありきたりな話かもしれませんが、文化の表層を切り取るのではなく、その「土台」に目を向けていただきたい、と思います。

 少し話が個人的になりますが、うちは炭窯なんで、樂茶碗を作るには炭が不可欠なんです。けれど、その跡を継がれるべき方が、炭を作るより他の仕事をしたいと思われる現実がある。このような状況は多くの伝統文化、芸能が直面していることだと思います。道具であったり、その材料であったり、表に見えるものの根底を支える、大きな土台の明日が危ぶまれている。それは暮らしが立つとか立たないとか、経済的な問題もあるでしょうが、それにも増して、伝統の支え手であるより「もっと違う仕事がしたい」という気持ちの部分が大きいように見受けられます。これって、例えば茶道なら茶道の本当の魅力、もっと奥にある良さ、というものが伝えきれていない、伝統文化が稽古事として普及していく中で、何か芯の部分がゴッソリと抜け落ちてしまっている側面も、時としてあったのではないか。故に次の世代の人たちの心を熱くさせることができないのでは。そんな課題を僕たちは突きつけられていると思うんです。

 文化庁が京都へ来ることによって、そういった土台の部分へも活気というか、エネルギーを傾けていただくことができれば。表面的な発信ではなく、一端であっても本質的な魅力を発信できる人が増えていけばと思うんです。簡単なことではないのですが。

 

澤田 文化庁が移転をするならば、その場所は京都しかないと思う反面、もし今回の移転によって、京都の文化と日本の文化が完全にイコールになってしまうのであれば、それには強く異を唱えたいという思いも、実は私にはあります。ごめんなさい、こんな場で。でも、全国の各地域のどんな町でも村でも、その土地にはその土地の伝統や風習が、文化があります。文化庁が京都に来ることで、京都発信の文化にだけ目が注がれるようになってはなりません。すべての地域の文化に平等の存在、もれなく目配りができる文化庁であってほしいと願っています。

 

金剛 ちなみに、金剛流の公演活動のなかの重要なものとして、文化庁の巡回公演事業がございます。全国、それこそ津々浦々の小中学校を回って、ワークショップ、実演の鑑賞を通して能楽に触れてもらうのですが、やはり遠方の学校では初めて能を見る生徒がほとんどです。それだけに、若い時にほんの少しでも接点があれば、いつか何かの取っ掛かりになることもあるかなと思っています。案外、初めて見る子どもたち、楽しんでくれているように思いますね。

 とはいえ、能公演全体を考えた時、やはり能の魅力を届ける難しさを思うことが多いのも事実です。イヤホンガイドとか、最近ではタブレット端末を貸し出して、そこに能のあらすじや見どころ、詞章の現代語訳を表示するなど、劇場による工夫も様々にありまして、お客さま方もうまく活用してくださっていますが、やはり何より大事なのは、われわれ能役者が、理屈や知識以前に感動していただける舞台をお届けすることに尽きるのだろうと思います。海外公演へ行きますとね、事前解説をした時にお客さまから苦情が出ることもあるんです。まずは一度体験をして、自分自身で触れてから話を聞きたいと。これはある意味、理想的なスタイルではありますが、お国柄などもあって、一概に何がベストと言えないのが難しいところですね。そのあたり、文化庁とも協力して、より良い魅力の発信の仕方も考えていきたいと思っています。

 

 

子どもたちへ、文化をどうつなぐ

 

樂 僕はリアルで体験する、ということを大切にしてほしいと思っています。以前、金剛先生(金剛流宗家・金剛永謹氏)、若宗家とご一緒に、海外で催しをさせていただいて、その折に茶碗の展覧会場となった美術館で、お二人が短い謡をなさったことがあったんです。なんのしつらえも、音響設備もない所でしたが、あの時の、ドーンと、体全体に音が当たってくるような、生の声の響きで瞬時に鳥肌が立つような、あの感動は、言葉の意味が分からないとか、そんなこと全く関係なしに会場の方々に伝わった覚えがあります。響きがドンと体当たりしてくるようなあの感覚。子どもたちには、そういう体験を通じて、何かをつかんでいってほしい。

 今、メタバース(仮想空間)とかいろいろ出てきて、どんどんリアルから離れていく流れにありますが、だからこそ、その対極にある実体験は、すごく大切になってくると思います。

 

金剛 確かに巡回公演でお能を見る子どもたち、理屈でなく、目の前で繰り広げられる初めての舞台をとても集中して見てくれるし、体験してくれますね。むしろ先生の方が、「小学生の子どもには分かりませんよ」とかおっしゃる。いやいや、子どもの方がよっぽど分かる、それも正しく分かっている、と思うことがよくあります。

 あと海外の劇場へ行くと家族連れのお客さんがとても多いですね。日本ではうるさくしてはいけない、とか劇場側で未就学児を入れない場合も多いですが、小さいお子さんほど、生のものを見る機会はかけがえがないものだと思います。もちろん、時と場合はあるでしょうが、大人の感覚で遠ざけるのでなく、安易に迎合するのでもなく、家族で劇場空間を楽しんでいただけるような企画の必要性は強く感じています。

 

澤田 私が今、気になっているのは教育格差の問題です。言葉っていうものは、それを使ってお互いの意見を知る、もしくは書かれているものを読んで契約を結ぶなど、生きていく上での基本的な道具だと思うんですが、それをしっかり学べないお子さんたちが一部で増えている。経済的な理由による教育格差、そして受験や何かに忙しすぎて、国語に割かれる教育時間が減っている事実などがその原因となっています。私自身は言葉をもっと普遍的に学んでもらえる手だてがないかということを、この数年ずっと考えています。そして同様のことは、幅広い文化学習についても言えると考えており、言葉学習の機会の欠如は文化学習の機会欠如と結びついていると思います。

 金剛さんの巡回公演のお話にも通じると思うのですが、文化とは人間の生活に古くから寄り添い続けてきたものであり、人や場所や社会といった関わりの中で、体験され、感動され、生まれ、つながれてきたものです。一つをたずね知ることによって、そこから次へ、次へと知識や経験を高め、豊かな世界が広がっていくというふうに。今、インターネットでなんでもすぐ調べられる時代になって、そういう文化にひも付くネットワークに身を置かなくても生きていけるようになりました。ですが実際にその広大な世界を体感すれば、文化のもたらす豊かさは人間の歴史・社会・風土あらゆる側面に及ぶものです。そこへ踏み込むか、踏み込まないかは自由ですけれど、せめてその入り口にたどり着くための機会は、すべての子どもに均等であるべき。そのためにも、子どもたちには等しく、言葉をしっかりと学べるシステムを提供したい。その手段を、それこそ皆さんとの文化ネットワークの中で模索していきたいと思っているところです。

(構成  安藤寿和子/写真 たやまりこ)

 

 

【プロフィール】

能楽師 金剛龍謹さん

こんごう・たつのり/1988年、金剛流二十六世宗家金剛永謹の長男として京都に生まれる。五歳で仕舞「猩々」にて初舞台。自身の演能会「龍門之会」をはじめ、国内外での数多くの公演に出演。大学での講義や部活動の指導、各地の小中学校での巡回公演への参加など若い世代への普及にも努める。同志社大学文学部卒。京都市立芸術大学非常勤講師。京都市芸術新人賞受賞。

 

作家 澤田瞳子さん

さわだ・とうこ/1977年、京都に生まれる。同志社大学文学部文化史学専攻卒、同大学院博士前期課程修了。2011年、デビュー作『孤鷹の天』での中山義秀文学賞を皮切りに受賞多数。2021年、『星落ちて、なお』で第165回直木賞を受賞。最新刊に大宰府に配流された菅原道真の日常をユニークに描く『吼えろ道真』。同志社大学客員教授。

 

茶碗師 樂吉左衞門さん

らく・きちざえもん/1981年、京都に生まれる。父は十五代樂吉左衞門。東京造形大学卒、京都市伝統産業技術者研修・陶磁器コース修了後にイギリス留学。2011年、樂家で作陶に入り、父から惣吉(そうきち)の花印を授かる。2019年7月、十六代を襲名。